日本歴史地名大系 「明川村」の解説 明川村あすがわむら 愛知県:東加茂郡足助町明川村[現在地名]足助町明川伊勢神(いせがみ)峠の西麓に位置し、矢作川の支流阿摺(あすり)川の上流に沿う。東は連谷(れんだに)村・大多賀(おおたが)村、南は上八木(うばやぎ)村・五反田(ごたんだ)村、西は平沢(ひらさわ)村、北は現旭(あさひ)町に接する。伊那(いな)街道がほぼ中央を東西に通り、美濃国明知(あけち)・岩村(いわむら)(現岐阜県恵那郡)へ通じる小渡(おど)村(現旭町)への道が分れる。集落は西部の街道沿いにあり、江戸時代宿場をなした。また総田(そうだ)村(現旭町)境近くにも点在し、通称明川大野(あすがわおおの)とよばれる。縄文時代時期不詳の明川山(あすがわやま)ノ神(かみ)遺跡・柳坪(やなぎつぼ)遺跡が明川大野にある。いずれも山麓の傾斜地に立地。寛永一二年(一六三五)当時、成瀬伊豆守領。同一五年成瀬家断絶によって幕府直轄地。宝永二年(一七〇五)吉田藩領となり、幕末期まで続く。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by