東加茂郡(読み)ひがしかもぐん

日本歴史地名大系 「東加茂郡」の解説

東加茂郡
ひがしかもぐん

面積:三八九・五八平方キロ
足助あすけ町・あさひ町・下山しもやま

愛知県の北部に位置し、北から旭町・足助町・下山村と南北に長い郡域を示す。東は段戸だんど山系によって北設楽きたしたら稲武いなぶ町・設楽町、南設楽郡作手つくで村と境し、郡境もしくは郡境近くに標高一一五二・三メートルの段戸山をはじめ一〇〇〇メートル級の山を連ねる。南は下山村が額田ぬかた額田町と接し、西はともえ川の支流郡界ぐんかい川によって岡崎市・豊田市と境をする。北西は矢作川を隔てて西加茂郡藤岡ふじおか町・小原おばら村、北は岐阜県恵那えな明智あけち町、矢作川を隔てて同郡串原くしはら村と接する。全域矢作川水系に入っており、巴川をはじめとする多くの支流が三河山地の小起伏面上に大小の渓谷を形成する。郡の中心地足助(現足助町)は、古来中部山岳地帯と尾張・三河の太平洋岸各地を結ぶ交通の要地で、伊那いな街道(飯田街道)が通じる。現国道一五三号。

平城宮出土木簡に「参河国加茂郡上□郷」とあり、「和名抄」の三河国八郡中に「賀茂郡」と記す。中世・近世を通じて賀茂とも加茂とも記される。

〔原始〕

先土器時代の遺跡は、北部の旭町内二ヵ所、南部の下山村内一ヵ所で発見されており、いずれも小起伏面上比較的高位の場所に立地。縄文時代の遺跡はきわめて多く、足助町七七、下山村一〇、旭町五六ヵ所を数える。大部分の遺跡から長野県和田わだ峠産と推定の黒曜石製の石器類あるいは石屑が出土し、早期押型文土器出土の遺跡が足助町一二、下山村一、旭町五存在する。とくに格子目押型文土器の時期と目される住居跡五と、押型文土器片五百数十点ほかを検出した馬場ばば遺跡(足助町)、環状配石遺構二基と土偶二二点を検出した後期・晩期の今朝平けさだいら遺跡(足助町)は特筆されよう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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