明恵上人崎山遺跡(読み)みようえしようにんさきやまいせき

日本歴史地名大系 「明恵上人崎山遺跡」の解説

明恵上人崎山遺跡
みようえしようにんさきやまいせき

[現在地名]吉町井口

井口いのくち法蔵ほうぞう寺境内の大師たいし山・崎山とよばれる小丘陵に位置。当地には田殿たどの荘を支配した崎山良貞の館があった。その妻は湯浅宗重の娘で、高山こうざん(現京都市右京区)を再興した明恵(高弁)伯母にあたる。幼少にして両親を失った明恵が養育された場所でもある。

建長五年(一二五三)三月に書写された明恵上人紀州所々遺跡注文(施無畏寺文書)は遺跡八所の一として「田殿庄崎山」をあげ、「右此処者、崎山兵衛尉貞良(ママ)之旧宅也、而貞良(ママ)後室(信性)上人姨母、以此処、奉与三宝、乃興伽藍経蔵、安置仏像聖教、其後構草室、奉上人、庵後有高峰、号那虞耶之峰、前遠望在田川」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報