日本歴史地名大系 「明石方村」の解説 明石方村あかしがたむら 広島県:豊田郡木江町明石方村[現在地名]木江町明石(あかし)大崎上(おおさきかみ)島の南西隅に位置する。北は山を負って原田(はらだ)村(現大崎町)に境し、東は沖浦(おきうら)村、西は大串(おおくし)村(現大崎町)に接し、南は海に臨み、伊予国岡村(おかむら)島(現愛媛県越智郡関前村)に対峙する。「芸藩通志」に「広十四町、袤七町」とある。寛永一五年(一六三八)の明石方村地詰帳(木江町役場蔵)によると、田畠・屋敷・塩浜の総畝数一七町七反余、村高一八〇・二石。うち塩浜は六反五畝余、ぬい数三八、高一五・二石で、中世以来の揚浜である。享保三年(一七一八)の明石方村万差出帳(同役場蔵)では、この塩浜のうち一反三畝余、三・一〇五石が無畝となり、同六年の明石方村差出帳(同役場蔵)では残りも「塩浜畠成」と記されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by