易国間湊(読み)いこくまみなと

日本歴史地名大系 「易国間湊」の解説

易国間湊
いこくまみなと

[現在地名]風間浦村易国間

易国間川の河口に位置し、津軽海峡に面する。正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に「イコクマ」とあるが、港としての記載はない。寛文五年(一六六五)四月頃「異国間」へ船一艘、同一二年六月「異国間浦」へ商船一二艘、同年八月頃「異国間湊」へ弁才船二艘が入港している。元禄八年(一六九五)三―六月には船三四艘が入津(雑書)

享保六年(一七二一)の七ケ湊御金高杣并舟数(「田名部記」日本林制史資料)に「一御金三百七拾九両九分五厘四毛 一本杣弐拾枚 一舟数拾六艘 異国間湊」とあり、おもに檜材を積出した。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」では田名部たなぶ七湊の一とするが、「原始謾筆風土年表」によれば文政元年(一八一八)からは浦と称された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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