北海道と本州を隔てる帯状の海峡。東口(椴法華村恵山岬―青森県東通村尻屋崎間)と西口(松前町弁天岬―青森県小泊村小泊岬間)の間の距離は約一〇一キロである。またこの海域には狭窄部が二ヵ所あり、東側は
津軽海峡からは日本海を北上してきた対馬海流(暖流)の過半が流出するといわれ、東流するこの分枝は津軽暖流とよばれる。東日本の太平洋岸の多くがこの暖流の影響を受けている点で、当海峡の果している役割は大きい。津軽海峡はサハリン(樺太)・シベリアに連なる動物相と朝鮮半島・アジア大陸に連なる動物相の境界となっている場合が多く、これには海峡成立の地史が深くかかわっている。この境界はとくにブラキストン線とよばれる。ヒトがいつ頃からどのようにして海峡を往来したのか、詳しいことはわかっていないが、縄文時代前期―後期の遺跡が本州北東部から北海道南東部にかけてみられることから、縄文人が海峡を越えて交流していたことがうかがわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
北海道と本州の間の海峡。西の日本海と東の太平洋を分け,東西約100km,南北約20~50km。海峡東部の下北半島大間崎~亀田半島汐首(しおくび)岬間が18.7kmと最も狭く,西部の津軽半島竜飛(たつぴ)崎~松前半島白神岬間は19.5kmある。海峡の東側から水深200m以上の深部が中央を東西に延びているのに対し,西側は水深130mとなっている。このため海底を通る青函トンネルは西側のルートがとられた。洪積世には本州と北海道は陸続きであったが,その後南北方向に数条の断層が生じ,また東西方向にも小規模な断層が生じて,津軽海峡が形成された。この海峡を境に陸上の生物の分布に大きな違いがみられ,その境界線をブラキストン線という。
日本海の対馬海流の過半は津軽海峡の西口から入って津軽暖流として東流し,太平洋に流出して親潮と接する。海峡内の流れは潮時で変わるが,中央部に2~4ノットの強流帯があり,両側に反流域がある。年平均流量は200万m3/sで,夏と秋に増加して東方の襟裳(えりも)岬に至るが,冬と春は少なく下北半島沿いに南下する。春と夏の表層塩分は低下するが,これ以外は34‰と高塩分で,海面水温も夏23~25℃,冬8℃と高い。日本海~太平洋間を回遊するマグロ,イワシ,サケなどはこの海峡を通るため定置網漁業が行われ,夏と秋のイカ釣漁船の灯火は観光風物詩としても知られる。沿岸はコンブ,ホッキガイ,アワビ,タコ,ウニ,カジカ,カレイなどが多く,ホタテガイの養殖も盛んである。
近世までは津軽半島の三厩(みんまや)と松前半島の福山(松前)の間が蝦夷地への航路で,松前藩主の参勤交代にも利用されたが,1891年の東北本線の全通に伴い,翌年には青森~函館間(113km)の航路が開かれた。1908年からは国鉄(のちJR)の青函連絡船が就航したが,1988年の青函トンネルの開通に伴い青函連絡船は廃止された。現在は青森,大間の各港と函館との間にフェリーが就航する。
執筆者:横山 弘+大谷 清隆
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北海道の南西部と本州を分かつ海峡。太平洋と日本海を結ぶ。最短部は西方の津軽半島の龍飛(たっぴ)崎と北海道渡島(おしま)半島の白神(しらかみ)岬間の19.5キロメートル、東方の下北(しもきた)半島の大間(おおま)崎と函館(はこだて)市汐首(しおくび)岬を結ぶ19.3キロメートルである。水深は東部が260メートル以上で溝状の深い地帯があり、西部は約130メートルの浅い地帯が馬の背のように続いている。そのため龍飛崎―白神岬間は海底トンネルで結ばれている。かつて本州と北海道は陸続きであったが、第四紀ごろ今日のような海峡が形成された。海峡を境に生物の分布が異なり、この境界をブラキストン線とよんでいる。
[横山 弘]
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