日本歴史地名大系 「易国間村」の解説
易国間村
いこくまむら
正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に「イコクマ」とみえ、雑書の寛文五年(一六六五)四月二二日条によれば「異国間」へ船が一艘入港している。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付に異国間村とあり、寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」には二九・九石余、うち畑二七・一石余とある。戸口は六八軒・三七一人。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では家数七八、うち支村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報