日本歴史地名大系 「星智寺廃寺」の解説 星智寺廃寺しようちじはいじ 茨城県:猿島郡境町伏木村星智寺廃寺[現在地名]境町伏木星智寺は正智寺とも記し、伏木(ふせぎ)東部の穴辺(あのべ)にあったが、寺跡は未詳。安永四年(一七七五)の寺社差出帳(佐怒賀家文書)によれば真言宗で、大照(だいしよう)院の門徒。境内は東西一四間・南北一三間、客殿は幅五間・奥行三間、庫裏は幅三間・奥行二間。享和三年(一八〇三)の伏木村穴辺正智寺事(同文書)によれば天正元年(一五七三)秋に下妻城主多賀谷重経が当寺を焼打ちし、梵鐘を奪った。この梵鐘はもと武州平林寺にあったもので、康正二年(一四五六)に古河公方足利成氏の命により武州に出陣した当地の青木左近将監らが平林寺から奪って当寺に奉納したと伝えられ、現在は下妻市の大宝(だいほう)八幡神社に所蔵されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by