応安八年(一三七五)春、鎌倉建長寺内に退居していた石室善玖を開山に請じて創建されたという(延宝伝灯録)。開基は不詳であるが、永和二年(一三七六)八月頃と推定される「平林石室」宛の義堂周信の書状(「空華集」一四)に、檀那である備州太守太田公が死去したことが記されていることから、この太田備州が開基と考えられる。永和元年八月、当寺から義堂のもとへ戻った海翁周東より石室の返事がもたらされたり(「空華日用工夫略集」同月七日条)、同三年九月には平林寺の石室が義堂の鎌倉円覚寺
創建から金竜庵末寺であったが、一五世紀の中頃同庵が同じ建長寺山内の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
埼玉県新座(にいざ)市野火止(のびどめ)にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。正式には金鳳山(きんぽうざん)平林禅寺という。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)。1375年(天授1・永和1)に武州岩槻(いわつき)城主の太田道真(どうしん)(道灌(どうかん)の父)が岩槻在平林邑(むら)(現さいたま市岩槻区金重(かなしげ))に建立し、石室善玖(いしむろぜんきゅう)(直指見性(じきしけんしょう)禅師)を招いて開山としたのが始まりである。天正(てんしょう)年間(1573~92)兵火によって堂宇は焼失したが、江戸時代に徳川家康は臨済寺(現静岡市葵(あおい)区大岩)の鉄山(てつざん)を招いて中興開山とした。のち1663年(寛文3)川越(かわごえ)城主松平信綱(のぶつな)の子輝綱(てるつな)が岩槻より現在の地に移して菩提(ぼだい)寺とし、江戸登城のときの宿坊とした。関東随一の専門道場をもつ。境内には野火止用水が流れ、山門、仏殿、本堂、松平(大河内(おおこうち))信綱・増田(ました)長盛の墓などがある。クヌギ、コナラなどの残る雑木林は平林寺境内林として国の天然記念物である。
[菅沼 晃]
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