日本大百科全書(ニッポニカ) 「映画教育」の意味・わかりやすい解説
映画教育
えいがきょういく
映画を広い意味での教育活動の有力な手段として利用すること。こうした試みは昭和の初期(1920年代後半)になされた。第二次世界大戦の戦前、戦中を通じて、映画を職場で、学校で、地域社会の諸行事のなかで、とくに国策の宣伝のために積極的に活用した。しかし、こうした活発な映画の利用も敗戦によって中断するに至った。戦後の映画教育は1950年(昭和25)、連合国最高司令部(GHQ)の占領政策の一環として、民間情報教育局(CIE)がナトコ16ミリ映写機を日本政府に貸与して行ったアメリカの各種文化・教育映画の上映による「移動映画教室」によって再開された。この試みは、敗戦直後の精神的空白に悩む当時の日本人に大きな影響を与えた。その後、復興が進み、16ミリ映写機の国産化と教材映画の製作が軌道にのるようになり、昭和20年代後半に入るとその全盛期を迎える。戦後の映画教育の主流は16ミリ映画であるが、昭和30年代の後半に参入した8ミリ映画の利用と自主製作活動も、その範疇(はんちゅう)に入れてよい。なお、映画教育を推進する団体として、長く映画教育協会が関係者の間で親しまれてきたが、近年、視聴覚教育協会(東京都港区虎ノ門1丁目)と改称するに至った。
[西本洋一]