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春日潜庵 かすが せんあん

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美術人名辞典の解説

春日潜庵

幕末・明治の勤王儒者。名は仲襄、字は子賛、潜庵は号。明治11年(1878)歿、68才。

出典|(株)思文閣
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デジタル大辞泉の解説

かすが‐せんあん【春日潜庵】

[1811~1878]江戸末期から明治初期の陽明学者。京都の生まれ。名は襄。字(あざな)は子賛。公卿の久我(こが)家に仕え、尊王攘夷論を主張した。のち、奈良県知事。著「潜庵遺稿」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

春日潜庵 かすが-せんあん

1811-1878 幕末-明治時代の儒者。
文化8年8月3日生まれ。五十君南山らに朱子学をまなび,のち陽明学に転じた。公卿(くぎょう)久我(こが)家の諸大夫となり,久我建通らにつかえる。尊攘(そんじょう)派の梁川星巌(やながわ-せいがん)らとまじわり,安政の大獄で永押込(ながおしこめ)に処せられる。慶応4年大和鎮撫総督久我通久(みちつね)の参謀,ついで奈良県知事となった。明治11年3月23日死去。68歳。京都出身。名は仲襄。字(あざな)は子賛。著作に「陽明学真髄」「読易抄」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

春日潜庵

没年:明治11.3.23(1878)
生年:文化8.8.3(1811.9.20)
幕末の儒者,尊攘派志士。名は仲襄,潜庵は号。筑前守春日仲恭の子として京都に生まれる。父を継いで久我家諸大夫となり,通明・建通父子に仕えて讃岐守に任ぜられた。また陽明学を諸藩の士に教授。ペリー来航以降,梁川星巌,頼三樹三郎らと時務を論じ,時の幕政を批判する内容の戊午の密勅降下に参画した。安政5(1858)年の大獄では永押込に処せられたが,文久2(1862)年赦免。七卿落ち東久世通禧が京都を離れたのち,東久世家の家事を兼掌した。明治1(1868)年,大和鎮撫総督久我通久に参謀として従う。同年5月奈良県知事となったがほどなく辞官し,子弟の教育に日を送った。<著作>『陽明学真髄』<参考文献>春日精之助『春日潜庵伝』

(三井美恵子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

かすがせんあん【春日潜庵】

1811~1878) 江戸末期・明治初期の儒者。京都久我家の臣。陽明学を信奉して国事に奔走。安政の大獄に連座。維新後、奈良県知事。著「潜庵遺稿」など。

出典|三省堂
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