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梁川星巌 やながわせいがん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

梁川星巌
やながわせいがん

[生]寛政1(1789).6.18. 美濃
[没]安政5(1858).9.2. 京都
江戸時代後期の漢詩人。名,孟緯。字,公図。 19歳のとき江戸に出て山本北山の奚疑塾に学び,先輩詩人と交わって詩才を認められた。その後各地を遊歴して菅茶山や頼山陽らと詩文をかわし,「文の山陽,詩の星巌」とうたわれた。

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デジタル大辞泉の解説

やながわ‐せいがん〔やながは‐〕【梁川星巌】

[1789~1858]江戸後期の漢詩人。美濃の人。名は孟緯。字(あざな)は公図。江戸で古賀精里山本北山に学び、神田に玉池(ぎょくち)吟社を開いた。のち京都に住み、勤王の志士と交わって国事に奔走。妻紅蘭も漢詩人。著「星巌集」など。

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百科事典マイペディアの解説

梁川星巌【やながわせいがん】

江戸後期の漢詩人。美濃の人。名は孟緯,字は公図。別号は天谷,百峰,老竜庵等。古賀精里山本北山に学び,江戸神田お玉が池に玉池吟社(ぎょくちぎんしゃ)を創設。その詩は唐詩の風格を有し,詩道中興の祖と呼ばれた。
→関連項目梅田雲浜頼三樹三郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

梁川星巌 やながわ-せいがん

1789-1858 江戸時代後期の漢詩人。
寛政元年6月18日生まれ。山本北山にまなぶ。妻の梁川紅蘭と諸国を遊歴し,江戸神田に玉池吟社(ぎょくちぎんしゃ)をひらく。のち京都で梅田雲浜(うんぴん)らと尊攘(そんじょう)運動にくわわるが,安政の大獄直前の安政5年9月2日コレラで死去。70歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。名は卯,孟緯。字(あざな)は伯兎,公図。別号に詩禅。詩集に「西征詩」など。「星巌先生遺稿」がある。

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朝日日本歴史人物事典の解説

梁川星巌

没年:安政5.9.2(1858.10.8)
生年:寛政1.6.18(1789.7.10)
江戸後期の詩人。名は卯のち孟緯,字は伯兎のち公図,通称新十郎,星巌は号。美濃国安八郡曾根村(岐阜県大垣市)に富農の家に生まれる。父は長高。文化4(1807)年江戸に出て山本北山の奚疑塾に入り儒学と詩文を学び,市河寛斎の江湖詩社に参加した。14年帰郷し私塾梨花村舎を開く。星巌は放浪を癖とした。文政3(1820)年詩人紅蘭と結婚。5年9月妻を伴って西遊し九州に至った。天保5(1834)年江戸神田お玉が池に住し玉池吟社を起こし,江戸詩壇の盟主として名声高まった。その間藤田東湖,佐久間象山交わり時事への関心を深め,弘化2(1845)年玉池吟社を閉じ帰郷し,翌年より京都に定住,ペリー来航後は政治活動深入り尊王攘夷を主唱す。安政5(1858)年秋京都に流行したコレラに罹り没し,南禅寺天授庵に葬る。死の直後安政大獄が起こったため,世人は星巌を「詩(死)に上手」と評した。5000首におよぶ作品を残し,詩人としての評価は頼山陽より高い。<著作>『梁川星巌全集』全5巻<参考文献>富士川英郎『江戸後期の詩人たち』

(沼田哲)

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世界大百科事典 第2版の解説

やながわせいがん【梁川星巌】

1789‐1858(寛政1‐安政5)
江戸末期の漢詩人。名は孟緯,字は公図,通称新十郎,星巌・詩禅と号する。美濃安八郡曾根村に生まれる。19歳のとき志を立て江戸に遊学し,古賀精里,山本北山に学び,22歳で再び北山に師事し,大窪天民(詩仏)らと交際。1817年(文化14)帰郷,作詩するとともに弟子をとった。20年(文政3)女流漢詩人紅蘭と結婚,四方を遊歴し,32年(天保3)江戸神田お玉ヶ池に玉池吟社(ぎよくちぎんしや)を開き,江戸詩壇に指導的地位を占め,藤田東湖,佐久間象山らと交わった。

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大辞林 第三版の解説

やながわせいがん【梁川星巌】

1789~1858) 江戸後期の漢詩人。美濃の人。名は孟緯、字あざなは公図。江戸で山本北山に学び、神田に玉池吟社を開き優秀な門人が輩出した。のち京都で、頼らい三樹三郎ら勤王の志士と交わり尊王攘夷を唱える。著「星巌集」「春雷余響」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

梁川星巌
やながわせいがん
(1789―1858)

江戸後期の漢詩人、尊攘(そんじょう)派志士。名を孟緯(もうい)、字(あざな)を公図、号を星巌。美濃(みの)国(岐阜県)に生まれる。19歳で江戸に出て、山本北山(ほくざん)に入門して儒学と詩を学んだ。以後、日本各地を遊歴放浪して詩心を涵養(かんよう)し、1834年(天保5)から45年(弘化2)まで、江戸で玉池吟社(ぎょくちぎんしゃ)を開いた。江戸詩壇の中心となった玉池吟社からは、優秀な詩人が輩出した。ついで居を京都に移し、春日潜庵(かすがせんあん)や吉田松陰らと交わり、尊王倒幕運動に関与したが、安政(あんせい)の大獄の発動される直前、安政5年9月2日、コレラのため病死。詩集に『星巌集』(1841~56)などがある。妻の紅蘭(こうらん)(1804―79)も幕末の女流詩人として活躍し、『紅蘭小集』(1841)がある。[揖斐 高]
『伊藤信著『梁川星巌翁附紅蘭女史』(1925・梁川星巌翁遺徳顕彰会) ▽富士川英郎著『江戸後期の詩人たち』(1973・筑摩書房)』

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