江戸末期の漢詩人。名は孟緯,字は公図,通称新十郎,星巌・詩禅と号する。美濃安八郡曾根村に生まれる。19歳のとき志を立て江戸に遊学し,古賀精里,山本北山に学び,22歳で再び北山に師事し,大窪天民(詩仏)らと交際。1817年(文化14)帰郷,作詩するとともに弟子をとった。20年(文政3)女流漢詩人紅蘭と結婚,四方を遊歴し,32年(天保3)江戸神田お玉ヶ池に玉池吟社(ぎよくちぎんしや)を開き,江戸詩壇に指導的地位を占め,藤田東湖,佐久間象山らと交わった。46年(弘化3)京都に移居し,悠々自適のかたわら梅田雲浜,頼三樹三郎らと時局を論じた。幕吏から尊攘論の首唱者と目されたが,大獄が始まる直前に没した。詩風は,はじめ宋詩のち唐詩を好んで一家をなし,寛政以降の一流の詩人として世に〈日本の李白〉と称され,その詩は頼山陽の文章とともに天下の双璧と評された。詩集に《星巌集》,文集に《星巌先生遺稿》などがある。
執筆者:頼 祺一
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江戸後期の漢詩人、尊攘(そんじょう)派志士。名を孟緯(もうい)、字(あざな)を公図、号を星巌。美濃(みの)国(岐阜県)に生まれる。19歳で江戸に出て、山本北山(ほくざん)に入門して儒学と詩を学んだ。以後、日本各地を遊歴放浪して詩心を涵養(かんよう)し、1834年(天保5)から45年(弘化2)まで、江戸で玉池吟社(ぎょくちぎんしゃ)を開いた。江戸詩壇の中心となった玉池吟社からは、優秀な詩人が輩出した。ついで居を京都に移し、春日潜庵(かすがせんあん)や吉田松陰らと交わり、尊王倒幕運動に関与したが、安政(あんせい)の大獄の発動される直前、安政5年9月2日、コレラのため病死。詩集に『星巌集』(1841~56)などがある。妻の紅蘭(こうらん)(1804―79)も幕末の女流詩人として活躍し、『紅蘭小集』(1841)がある。
[揖斐 高]
『伊藤信著『梁川星巌翁附紅蘭女史』(1925・梁川星巌翁遺徳顕彰会)』▽『富士川英郎著『江戸後期の詩人たち』(1973・筑摩書房)』
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