普寛(読み)ふかん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「普寛」の解説

普寛 ふかん

1731-1801 江戸時代中期-後期修験者(しゅげんじゃ)。
享保(きょうほう)16年生まれ。郷里武蔵(むさし)秩父郡(埼玉県)の三峰山観音院で修行し,のち諸国を遊行して上野(こうずけ)(群馬県)三笠山などをひらく。寛政4年(1792)木曾御岳(おんたけ)山にのぼり王滝口登山道をひらき,関東地方に御岳講を組織して御岳信仰をひろめた。享和元年9月10日死去。71歳。俗名は浅見左近。号は本明院。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の普寛の言及

【御嶽山】より

…【上野 福男】
[信仰]
 木曾御嶽山はもとは各地に分布する国御嶽(くにみたけ)の一つとして,蔵王権現がまつられ,道者の登る山とされていた。江戸時代中期に尾張の覚明行者,江戸の普寛行者の2人によって,黒沢口,王滝口の登山道が整備され,それまで75日間の精進潔斎を行った者でないと登ることができなかったものが軽精進だけで登れるようになった。それ以降,覚明,普寛の系譜に属する行者達によって各地に講が結成され,全国的に普及したのである。…

【八海山】より

…越後三山只見国定公園に含まれ,スキー場もある。【鈴木 郁夫】
[信仰]
 八海山信仰は古代以来の山麓部を中心とする山の神信仰と,近世中期に木曾御嶽山(おんたけさん)中興の一人として知られる普寛(ふかん)行者(1731‐1801)および泰賢やその流れをくむ行者たちを中心とする信仰との二つに大別することができる。なかでも後者によって八海山信仰が世に広く知られるようになった。…

※「普寛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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