普賢堂町
ふげんどうまち
[現在地名]博多区上呉服町
桶屋町の東側にある南北の金屋小路町・北船町の通りから東に延びる両側町。東から西へ普賢堂町上・普賢堂町下と続き、東端は西教寺(現仏教系単立)、寺の裏は石堂川(御笠川)。北は中小路町・魚ノ町、南は寺中町と聖福寺。天文一二年(一五四三)の安山借屋牒(聖福寺文書)によると、同寺境域の寺内町として「普賢堂」がみえ、借屋三五軒、間口総間数は東から西に五二間二尺五寸。普賢堂厨子ともよび(石城志)、「筑陽記」には普賢堂辻子と記される。町名は普賢菩薩の堂があったことにちなむと伝えるが(続風土記)、宝永(一七〇四―一一)頃にはすでに仏堂はなかったという(続風土記附録)。九州文化史研究所蔵の博多古図には南側に「フケン堂」がみえる。元禄三年(一六九〇)の家数は上二五軒・下二六軒(続風土記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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