日本歴史地名大系 「普賢寺郷」の解説 普賢寺郷ふげんじごう 京都府:綴喜郡田辺町普賢寺郷近世、普賢寺川流域の一〇ヵ村を普賢寺郷と称した。高木(たかぎ)・南山(みなみやま)・出垣内(でがいと)・宮(みや)ノ口(くち)・多々羅(たたら)・上(かみ)・水取(みずとり)・高船(たかふね)・打田(うつた)・天王(てんのう)の諸村で、天王の朱智(しゆち)神社を郷氏神とする氏子圏であり、宮座を構成していた。郷名は当地域内にあった普賢寺の寺名に由来するといわれる。中世は朱智庄または朱智長岡(しゆちながおか)庄とよばれたらしい。嘉吉元年(一四四一)の「興福寺官務牒疏」は普賢寺の在所を「在同州綴喜郡筒城郷朱智長岡荘」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by