上松(読み)アゲマツ

デジタル大辞泉 「上松」の意味・読み・例文・類語

あげまつ【上松】

長野県木曽郡の地名。もと中山道宿場町木曽桟道跡や寝覚ねざめとこ近くにある。木材集散地木曽駒ヶ岳の登山口。

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精選版 日本国語大辞典 「上松」の意味・読み・例文・類語

あげまつ【上松】

  1. 長野県南西部の地名。木曾川に沿い、中山道の宿場町として発展。ヒノキ美林、奇勝「寝覚の床」などで知られる。

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改訂新版 世界大百科事典 「上松」の意味・わかりやすい解説

上松[町] (あげまつ)

長野県南西部,木曾郡の町。人口5245(2010)。木曾川上流域に位置する。町の中心部は江戸時代より中山道の宿駅として,また木曾地方の木材集散地として発展し,現在も中央部を南流する木曾川に沿って,JR中央本線,国道19号線が通り,製材・木工業を中心に町の産業が展開している。東部は木曾山脈,西部は飛驒山脈の高い山地に占められ,国有林を主体に山林原野が広がる。名勝寝覚ノ床や小野の滝,史跡木曾の桟(かけはし),さらに日本三大美林の一つとして知られる赤沢自然休養林,木曾山脈の主峰駒ヶ岳への登山コースもあり,観光資源に恵まれている。駒ヶ岳神社に太々神楽(県重要無形民俗文化財)が伝わる。
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上松の地名の初出は戦国時代になってからで,戦国領主木曾氏の一族上松氏が居館を構え,1550年代(天文年間)には宿場町としての上松宿が成立していた。1601年(慶長6)江戸幕府による宿駅制度の制定に伴い,中山道69駅中の一宿として指定された。宿場の規模は,町長5町31間(約600m),家数362軒,口数2482人,本陣・脇本陣各1,問屋2,旅籠21(天保年間の宿絵図)であった。宿の西入口に尾張藩木曾材木役所があり,ヒノキの美林で知られた木曾山の管理と伐木・運材などの経営に当たっていた。1911年中央本線の全通とともに,従来木曾川を流送していた木材が陸送に切り替えられ,また上松駅を起点王滝,小川などの美林地帯へ森林鉄道が敷設された結果,木材の集散地となり,製材を中心とした木工業も発達した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「上松」の意味・わかりやすい解説

上松(町)
あげまつ

長野県南西部、木曽郡(きそぐん)にある町。木曽谷の中心集落の一つで、1922年(大正11)駒ヶ根(こまがね)村が町制施行し、駅名により上松町と改称。JR中央本線と国道19号が走る。町域は木曽川の両岸にわたるが、集落は川に沿う段丘の小さな平地に散在し、中心集落の上松は木曽川の左岸段丘上にある。東には木曽山脈の主峰駒ヶ岳がある。江戸時代は、中山道(なかせんどう)(木曽街道)の宿駅をなし、また木曽谷全体の林政をつかさどる尾張藩(おわりはん)の木曽材木役所が置かれた。明治以後は材木の流送や、森林鉄道の中心をなし、多くのヒノキをはじめ木材が集積され、このため現在も製材・木工場が多い。中京方面に近いことから自動車部品の製造業も育っている。ヒノキの天然美林の赤沢自然休養林、寝覚の床(ねざめのとこ)(国指定名勝。周辺は中央アルプス国定公園に指定)、木曽の桟(かけはし)など優れた自然景観や旧跡に恵まれ、赤沢森林鉄道や赤沢森林資料館もある。面積168.42平方キロメートル、人口4131(2020)。

[小林寛義]

『楯英雄著『木曽ひのきの里――上松の歴史散歩』(1980・寝覚宿)』


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百科事典マイペディア 「上松」の意味・わかりやすい解説

上松[町]【あげまつ】

長野県南西部,木曾郡の町。木曾街道(国道19号線)沿いに市街があり,中央本線が通じる。周辺は大部分が国有林で特にヒノキの美林が多い。古くから木材集散地として知られ,製材・木工業を行う。中山道の難所であった桟(かけはし)道や寝覚ノ床(ねざめのとこ)があり,また東端にそびえる駒ヶ岳の登山口。168.42km2。5245人(2010)。

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事典・日本の観光資源 「上松」の解説

上松

(長野県木曽郡上松町)
中山道六十九次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報