日本歴史地名大系 「晴山館迫村」の解説 晴山館迫村はるやまたてはさまむら 岩手県:和賀郡東和町晴山館迫村[現在地名]東和町晴山館迫東晴山村の南、館迫村の西に位置し、西流する猿(さる)ヶ石(いし)川中流左岸の平地と丘陵に立地。江戸時代後半までは館迫村に含まれていた。慶長一七年(一六一二)から天明元年(一七八一)まで館迫村内一二三石余が江刺氏領であったが、これがのち晴山館迫村として分離したと考えられている。享和三年(一八〇三)の仮名付帳には高木(たかき)通に属する館迫村のほかに安俵(あひよう)通に属する館迫村があり、当村にあたる。家数三三、うち枝村の寺沢(てらのさわ)一〇・草井沢(くさいざわ)一五・栃木洞(とちのきほら)八。天保一三年(一八四二)の検地名寄帳(東和町史)によれば安俵通館迫村は高一七八石余、反別田八町四反余・畑五町一反余、家数二八。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報