朱楽菅江(読み)アケラカンコウ

デジタル大辞泉 「朱楽菅江」の意味・読み・例文・類語

あけら‐かんこう〔‐クワンカウ〕【朱楽菅江】

[1740~1799]江戸後期狂歌師洒落本作者。江戸の人。幕臣で本名は山崎景貫やまざきかげつら大田南畝おおたなんぽ唐衣橘洲からごろもきっしゅうとともに、天明狂歌壇の中心的人物の一人。著「故混馬鹿集」「狂歌大体」など。

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精選版 日本国語大辞典 「朱楽菅江」の意味・読み・例文・類語

あけら‐かんこう‥クヮンカウ【朱楽菅江】

  1. 江戸後期の狂歌師、洒落本作者。本名山崎景貫。別号、朱楽館など。江戸に生まれた幕臣。唐衣橘州(からごろもきっしゅう)四方赤良(よものあから)とともに狂歌三大家の一人。妻も節松嫁々(ふしまつかか)の名で狂歌をよくする。著書に洒落本「売花新駅」、狂歌撰集に「故混馬鹿集」「狂歌大体」など。元文三~寛政一〇年(一七三八‐一七九八

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朝日日本歴史人物事典 「朱楽菅江」の解説

朱楽菅江

没年:寛政10.12.12(1799.1.17)
生年:元文3(1738)
江戸時代の狂歌作者。山崎氏。名は初め景基,のち景貫。通称は郷助。俳名は貫立。朱楽館と号す。朱楽菅(漢)江は“あっけらかん”をもじった狂名。幕臣で,江戸市谷二十騎町に住んだ。儒者で歌人内山椿軒の門人となり,和歌を学ぶ一方,貫立の俳名で雑俳にも親しんだ。同門の大田南畝(狂名四方赤良),唐衣橘洲,平秩東作らに誘われて,安永初めごろから狂歌を始め,やがて妻(狂名節松嫁々)と共に門人グループを率いて,朱楽連と称した。また洒落本にも手を染め,安永6(1777)年に『売花新駅』,同8年に『雑文穿袋』『大抵御覧』を刊行し,文名をあげた。翌安永9年に牛込御納戸町の川柳グループ蓬莱連にかつがれて『川傍柳』の刊行に協力しているのも,その文名を慕われてのことであろう。狂歌の方では,天明3(1783)年に四方赤良と共に選者を務めた『万載狂歌集』が,天明江戸狂歌大流行の端緒を作った。同5年には『故混馬鹿集』を自選し,天明狂歌界の重鎮として,種々の狂歌会に参加し,『絵本江戸爵』(1786)などの狂歌絵本も編集した。天明7年に赤良が狂歌界を離れてからは,唐衣橘洲と共に山手側の代表的存在となり,寛政期に入ると,作風は和歌へと移っていった。寛政3(1791)年ごろ,不忍池のほとりに隠居して芬陀利華庵と号した。菅江没後の朱楽連は妻が率い,死の翌年向島に「執着の心や娑婆にのこるらんよし野の桜さらしなの月」の歌碑を建てた(三囲神社境内に現存)。

(園田豊)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「朱楽菅江」の意味・わかりやすい解説

朱楽菅江
あけらかんこう
(1738―1798)

江戸後期の狂歌人。漢江とも書く。本名山崎景貫。字(あざな)は道父、号准南堂(わいなんどう)。江戸・市谷(いちがや)に住む幕臣。内山賀邸に学び、和歌と雑俳に親しんだが、同門の四方赤良(よものあから)(蜀山人(しょくさんじん))、唐衣橘洲(からころもきっしゅう)らに誘われて狂歌を始め、しだいに普及流行するとともに赤良、橘洲と並ぶ三大家に数えられた。1783年(天明3)江戸狂歌最初の選集『万載(まんざい)狂歌集』を赤良と共編し、1785年には門下の朱楽連を中心とする『狂言鶯蛙集(おうあしゅう)』を刊行した。これより先、安永(あんえい)(1772~1781)後期には赤良と同じく洒落本(しゃれぼん)に筆をとり『売花新駅(ばいかしんえき)』『大抵御覧(たいていごらん)』『雑文穿袋(ざつもんせんてい)』などを著し、また川柳(せんりゅう)の牛込蓬莱連(ほうらいれん)に入って1780年(安永9)から『川傍柳(かわぞいやなぎ)』初篇(へん)~5篇を出すなど幅広く活動している。寛政(かんせい)の改革(1787~1793)時には和歌に近い作風に転じて『狂歌大体』を著したが、晩年は朱楽連の指導は妻の節松嫁々(ふしまつかか)に任せ、寛政10年12月12日池之端(いけのはた)の芬陀利華庵(ふんだりげあん)で没した。墓所は青原寺(東京都中野区)。

 立ちて見し柱暦もねころんでよめるばかりに年はくれにき
[浜田義一郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「朱楽菅江」の意味・わかりやすい解説

朱楽菅江 (あけらかんこう)
生没年:1740-1800(元文5-寛政12)

江戸後期の狂歌・戯作の作者。本名は山崎景貫。別号准南堂。幕臣。内山賀邸に学び,同門の唐衣橘洲(からごろもきつしゆう),四方赤良(よものあから)(大田南畝)らと戯れに狂歌を作ったのが意外に流行し,三大家と称された。門下を朱楽連と号して1785年(天明5)に狂歌撰集《狂言鶯蛙集》を出した。他方,安永年間(1772-81)は赤良に続いて洒落本を書き《売花新駅》《大抵御覧》《雑文穿袋》などの作があるし,若い時に前句付(まえくづけ)に親しんだので1780年から川柳の牛込蓬萊連グループに属して《川傍柳(かわぞいやなぎ)》編撰に参加した。寛政改革後は狂歌の作風を変えて《狂歌大体(だいたい)》を著し,和歌に近い立場をとった。なお,菅江の死後は妻の狂名節松嫁々(ふしまつのかか)が朱楽連をひきいた。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朱楽菅江」の意味・わかりやすい解説

朱楽菅江
あけらかんこう

[生]元文5(1740).10.24. 江戸
[没]寛政12(1800).12.12. 江戸
江戸時代中期~後期の狂歌作者,戯作者。本名,山崎景貫。通称,郷之助。号,朱楽館,淮南堂,貫立,漢江。幕臣,先手与力。若年から談林の俳諧に遊び,また内山賀邸 (椿軒) の門に入り和歌を学んだ。唐衣 (からごろも) 橘州,四方赤良 (よものあから) らと同門。初め前句付に進み,貫立と号し,『川傍柳 (かわぞいやなぎ) 』 (1780~83) を編。狂歌では唐衣橘洲の狂歌会に参加,朱楽連を形成。川柳風で平俗な狂歌を多く詠み,天明ぶり狂歌を代表する一人。天明5 (85) 年狂歌集『故混馬鹿集』 (『狂言鶯蛙集』) を撰した。狂歌は『万載狂歌集』『徳和歌後万載集』に入集。洒落本も著わし,『売花新駅』 (77) ,『大抵御覧』 (79) などがある。妻まつ女も狂歌をよくし,節松嫁々 (ふしまつのかか) と称し,菅江没後社中を率いた。

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百科事典マイペディア 「朱楽菅江」の意味・わかりやすい解説

朱楽菅江【あけらかんこう】

江戸中・後期の狂歌師,戯作者。本名山崎景貫。別号朱楽館,淮南堂。幕臣で先手与力。初め前句付に入り貫立と称した。唐衣橘洲(からごろもきっしゅう),四方赤良(大田南畝),とともに狂歌三大家と呼ばれ,また洒落本も書いた。妻の節松嫁々(ふしまつのかか)も狂歌師。狂歌に《狂言鶯蛙集》,洒落本に《売花新駅》《大抵御覧》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朱楽菅江」の解説

朱楽菅江 あけら-かんこう

1738-1799* 江戸時代中期-後期の狂歌師,戯作(げさく)者。
元文3年生まれ。妻は節松嫁々(ふしまつの-かか)。幕臣。内山椿軒(ちんけん)にまなび,同門の唐衣橘洲(からころも-きっしゅう),四方赤良(よもの-あから)(大田南畝(なんぽ))とともに狂歌の三大家といわれた。門下を朱楽連と称した。天明5年「故混馬鹿(ここんばか)集」を刊行。洒落(しゃれ)本「売花新駅」などもかいた。寛政10年12月12日死去。61歳。姓は山崎。名は景貫。字(あざな)は道甫。通称は郷助。別号に淮南堂,貫立,朱楽館など。
【格言など】執着の心や娑婆(しゃば)にのこるらん吉野の桜更科(さらしな)の月(辞世)

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旺文社日本史事典 三訂版 「朱楽菅江」の解説

朱楽菅江
あけらかんこう

1740〜1800
江戸後期の狂歌師
本名山崎景貫 (かげつら) 。幕府の与力。唐衣橘洲 (からごろもきつしゆう) ・四方赤良 (よものあから) (大田南畝)とともに狂歌三大家の一人に数えられる。著書に『故混馬鹿集』『大抵御覧』など。

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367日誕生日大事典 「朱楽菅江」の解説

朱楽菅江 (あけらかんこう)

生年月日:1738年10月24日
江戸時代中期;後期の狂歌師
1799年没

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世界大百科事典(旧版)内の朱楽菅江の言及

【万載狂歌集】より

…17巻2冊。四方赤良(よものあから)・朱楽菅江(あけらかんこう)編。菅江序,赤良序,橘のやちまた(加藤千蔭)跋。…

※「朱楽菅江」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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