曽我廼家劇(読み)そがのやげき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「曽我廼家劇」の意味・わかりやすい解説

曽我廼家劇
そがのやげき

曽我廼家五郎・十郎が結成した一座によって演じられた喜劇、またその一座をいう。大阪俄(にわか)(仁輪加)のおもしろさにヒントを得たのが創立のきっかけで、1904年(明治37)2月大阪・道頓堀(どうとんぼり)の浪花(なにわ)座で旗揚げ。ついで京都朝日座での『無筆の号外』(五郎作)で大当りをとった。その成功はたちまち京阪一帯に亜流劇団の輩出を促し、いわゆる大阪喜劇の始祖となる。五郎・十郎の芸名は曽我兄弟にちなんだもので、一座の座員にも歌舞伎(かぶき)の曽我物からとった名をつけた。その後、五郎がしだいに教訓的な芝居に傾いたため十郎と溝を深め、14年(大正3)の五郎の渡欧を機に十郎が脱退した。また五郎はかの地の見聞に影響され、翌年帰国するや一時「平民劇団」と改称、自らも本名の和田久一としたが、人気が急落したため「五郎劇」と改め、一方の「十郎劇」と双璧(そうへき)をなす形になった。その系譜は松竹新喜劇(1990年新生松竹新喜劇に改称)に及んでいる。

[向井爽也]

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