日本大百科全書(ニッポニカ) 「新生松竹新喜劇」の意味・わかりやすい解説
新生松竹新喜劇
しんせいしょうちくしんきげき
劇団名。1948年(昭和23)12月、曽我廼家十吾(そがのやじゅうご)と2代目渋谷天外(しぶやてんがい)ら松竹家庭劇出身者を中心に大阪の中座で旗揚げされた松竹新喜劇がその前身。座員に曽我廼家大磯(おおいそ)、曽我廼家明蝶(めいちょう)、曽我廼家五郎八(ごろはち)、浪花(なにわ)千栄子らを擁して盛況を続け、52年以降は東京でも公演をもつようになり、ファンをつかんだ。56年に十吾が退団、以後天外が座長となり脚本・主演に健闘したが、しだいに藤山寛美(かんび)の人気が高まり、65年以後は寛美が主導権をとり、一時除籍されたものの、復帰した66年11月以降81年10月まで180か月連続公演の記録を打ち立てた。またその間、演目を当日の観客に選ばせ、即座に演じてみせるリクエスト公演という史上類をみない企画を成功させて話題となった。90年(平成2)に寛美が急死、それを機に現在の名称に改め、3代目渋谷天外らを中心に活動を続けている。現在、大阪喜劇のなかでは曽我廼家劇の正統な流れをくむ唯一の劇団である。
[向井爽也]
『木畑紀子著『寛美いつまでも大阪の――藤山寛美と松竹新喜劇』(1990・「上方芸能」出版センター)』▽『藤井薫著『さらば松竹新喜劇 天外・寛美と過ごした日々』(1993・情報センター出版局)』▽『大槻茂著『喜劇の帝王 渋谷天外伝』(小学館文庫)』