曾加部郷(読み)そがべごう

日本歴史地名大系 「曾加部郷」の解説

曾加部郷
そがべごう

室見むろみ川流域にあったとみられる中世の郷。文永八年(一二七一)四月二七日の飯盛宮社領坪付(青柳文書/鎌倉遺文一四)によると、飯盛いいもり(現西区)の懺法料田五反が「曾加部郷吉武名」に設けられている。観応二年(一三五一)一二月二五日には出羽四郎入道跡である曾加部郷一二町が足利直冬から松浦党武末授に勲功の賞として宛行われた(「足利直冬宛行状案」伊万里文書/南北朝遺文(九州編)三)。永享六年(一四三四)一〇月一〇日大内氏被官安富弾正忠に宮河甲斐守跡である曾賀部半分が宛行われ(「大内氏奉行人連署奉書」永田秘録)、文明二年(一四七〇)二月九日の安富宗貞給所注文(同書)によると曾賀部村三〇石が安富氏の給地となっており、前年の惣名帳によると、この地は新開新左衛門尉跡で二八町六反の規模となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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