朝日日本歴史人物事典 「曾我祐信」の解説
曾我祐信
平安末・鎌倉前期の武士。太郎と称す。桓武平氏の出自。相模曾我郷(小田原市)の住人。母は伊東祐家の娘。治承4(1180)年石橋山の戦で平家方に属したが,のち源頼朝に降参,本領を安堵された。曾我祐成・時致兄弟の母と再婚。建久4(1193)年富士の巻狩に加わり,継子である曾我兄弟の仇討ちのことで,隠退を許され,死んだ兄弟菩提のため曾我庄の年貢を免除された。子孫は御家人として鎌倉・室町幕府に仕え,のち武家故実家として知られた。北条得宗の被官だった一族は,陸奥津軽の地頭代として活躍。小田原市曾我に伝祐信供養の関東式宝篋印塔(鎌倉後期)がある。
(湯山学)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報