曾我祐成(読み)そが すけなり

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

曾我祐成 そが-すけなり

1172-1193 鎌倉時代の武士。
承安(じょうあん)2年生まれ。河津祐泰(すけやす)の長男。安元2年同族間の所領争いで父が工藤祐経(すけつね)に殺され,母が再婚した曾我祐信(すけのぶ)のもとでそだつ。建久4年5月28日,源頼朝の富士の巻き狩りの場で弟時致(ときむね)とともに仇討ちをはたしたが,同日仁田忠常に討たれた。22歳。のちこの事件は「曾我物語」として文芸化された。伊豆(いず)河津荘(静岡県)出身。幼名は一万。通称は十郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

曾我祐成

没年:建久4(1193)
生年:承安2(1172)
平安末・鎌倉初期の武士。幼名一万。十郎と号す。河津祐泰の長男。父は祖父伊東祐親と一族の工藤祐経の所領相論から祐経の手の者に殺害され,母が曾我祐信に再嫁したため,相模国(神奈川県)足柄郡の曾我荘で育った。建久4(1193)年5月に源頼朝が富士野で巻狩を行ったときに,神野の旅宿を襲撃し,父の仇工藤祐経を討ち果たしたが,さらに頼朝をも殺害しようとして新田四郎忠常に討ち取られた。この事件は,確かに仇討ち事件であるが,頼朝の殺害を図ったという点で,その黒幕に北条時政がいたという説もある。弟五郎時致も捕縛され,のちに殺された。祐成の愛人が大磯のであり,彼女が代表する遊行の巫女,僧侶が『曾我物語』成立と流布に重要な役割を果たしたともいわれる。仇討ち物語である『曾我物語』は室町時代以降,特に東国の民衆に親しまれ今日に伝わった。

(飯沼賢司)

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精選版 日本国語大辞典の解説

そが‐すけなり【曾我祐成】

鎌倉初期の武士。十郎と称す。伊豆の豪族河津祐泰の長子。父の敵、工藤祐経(すけつね)を討とうと弟五郎時致(ときむね)とはかり、富士の裾野で夜、風雨に紛れて目的を達したが宿衛の仁田忠常に討たれた。この仇討ちは、のち「曾我物語」として伝えられる。承安二~建久四年(一一七二‐九三

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