曾野綾子(読み)そのあやこ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「曾野綾子」の意味・わかりやすい解説

曾野綾子
そのあやこ

[生]1931.9.17. 東京
小説家本名,三浦知寿子。 1954年聖心女子大学英文学科卒業。在学中に作家三浦朱門と結婚。 54年に『遠来の客たち』が芥川賞候補にあげられ出世作となった。この年『バビロンの処女市』『海の御墓』などで注目を集めた。ほかに半自伝体の長編黎明』 (1955~56) ,不眠症の女をヒロインとする『砂糖菓子の壊れるとき』 (65) ,第2次世界大戦末期の沖縄の女学生の悲劇を描いた『生贄の島』 (69) ,東南アジアに舞台を求め,永遠と無常の対立を描いた『無名碑』 (69) ,カトリック信仰の深さを示す『不在の部屋』 (76~78) ,『神の汚れた手』 (79) などがある。白内障で失明したが手術に成功し作家活動を続ける。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「曾野綾子」の解説

曾野綾子 その-あやこ

1931- 昭和後期-平成時代の小説家。
昭和6年9月17日生まれ。三浦朱門の妻。17歳でカトリック受洗。「ラマンチャ」,第15次「新思潮」に参加。昭和29年「遠来の客たち」で注目され,以後宗教,戦争,社会問題などをテーマに幅ひろい作家活動を展開する。平成5年芸術院恩賜賞。同年芸術院会員。7年日本財団会長。15年文化功労者。24年菊池寛賞。東京出身。聖心女子大卒。本名は三浦知寿子。作品はほかに「無名碑」「神の汚れた手」,発行部数100万部を超えた「老い才覚」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の曾野綾子の言及

【キリスト教文学】より

…この系譜は昭和に入っては中原中也や太宰治の文学につながり,芥川における東方と西方の対立はその弟子堀辰雄を経て戦後の福永武彦や遠藤周作まで受け継がれてゆくこととなる。ただこれら大正から昭和にかけての文学者たちのほとんどがキリスト者ではなかったのに対して,戦後文学が椎名麟三,遠藤周作,曾野綾子,小川国夫をはじめ多くのキリスト者作家を生み出していることは注目すべきであろう。これは椎名におけるドストエフスキーや遠藤におけるF.モーリヤックの受容にもみられるように,大戦後の状況のなかで文学と宗教をめぐる問題が日本でも,ようやく存在論的視角を持ちはじめたことの証左でもあろう。…

※「曾野綾子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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