中国古代の諸子百家の一つとして《漢書》芸文志に見える。そこに著録された書籍から推して,九流に分属できなかった依託(擬作)の文献で,内容が浅薄または迂誕(大げさで実際的でない)と評定された一群である。周王朝の中央職官〈王官〉から諸子が派生したとする班固は,この流派が〈稗官(はいかん)(地方行政職員)〉に淵源する,と説く。〈小説〉とは,瑣細な話柄のことで,街談巷語(町のうわさ話)の細事を集め,閭里(むら)の見聞を書きとめて,治身理家(一家の経営や処世術)の用に供したり(桓譚《新論》),余暇の娯楽の資とした(張衡〈西京賦〉)ものであったらしい。後漢後期には,神仙,方術に関する説話が流行して《捜神記》などに伝わるが,あたかもその源流にあたる。
執筆者:戸川 芳郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...