日本歴史地名大系 「月見町」の解説 月見町つきみちよう 京都市:東山区祇園廻り月見町東山区東大路通松原上ル四丁目広道(ひろみち)通(安井門前(やすいもんぜん)通、現東大路通)に位置。この街路はもと蛇(くちなわ)の辻子、また苦集滅路(くずめじ)ともいった。現在の位置は、東に道を隔てて下河原(しもかわら)町、南は上弁天(かみべんてん)町・毘沙門(びしやもん)町、西が祇園町南側(ぎおんまちみなみがわ)、北が清井(きよい)町だが、江戸時代は蛇の辻子に沿って、八軒(はちけん)町(現在祇園町南側に合併)の南に位置する町であった。宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は「此南の町(上八軒町) 月見町」とし、「此南、西側に安井御門跡也。 月見町つきみちよう 京都市:下京区修徳学区月見町下京区万寿寺通西洞院東入東西に通る万寿寺(まんじゆうじ)通(旧樋口小路)を挟む両側町で、町の中央を南北に若宮通が通る。町の西側は西洞院(にしのとういん)通(旧西洞院大路)にも面する。平安京の条坊では左京六条三坊一保一町南側及び同二町北側の地、平安中期以降は樋口西洞院大路の東にあたる。院政期、町の南側は江家文庫(ごうけぶんこ)(千草とも称した)の一部にあたっていた(兵範記・本朝世紀)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by