朝日日本歴史人物事典 「有井諸九尼」の解説
有井諸九尼
生年:正徳4(1714)
江戸中期の俳人。名はなみ。前号,波(浪)女,雎鳩(鳥のミサゴのことで,夫婦愛の強い鳥の代表)。別号,湖白庵,千鳥庵後婦,蘇天。筑後国(福岡県)竹野郡の人。父の従兄弟に当たる中原村の庄屋永松万右衛門と結婚。寛保3(1743)年ごろ,近村に滞在中の,志田野坡門の俳人有井湖白(後号浮風)と不義密通,駆け落ちし,大坂,京都に移住。宝暦12(1762)年5月,浮風が病没したため剃髪して尼となる。以後,京岡崎の湖白庵で俳三昧に入って,名声をあげた。旅を好み,西国や奥羽にも行脚したが,晩年は郷里に住んだ。作風は温雅,静寂な写生句を中心とし,小動物を慈愛をこめて見守った「生けるものあつめてさびし涅槃像」などの句に特色がある。<著作>『湖白庵諸九尼全集/増訂版』
(加藤定彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報