有壁村(読み)ありかべむら

日本歴史地名大系 「有壁村」の解説

有壁村
ありかべむら

[現在地名]金成町有馬ありま

末野すえの村の北に位置し、村中央を有馬川が東流する。西は片馬合かたませ村、北は鬼死骸おにしがい(現岩手県一関市)。奥州街道の宿駅で、南の金成宿より北の一関いちのせき宿(現一関市)に通じた。村内の岩穂いわお山に白い岩があり、壁のようなので有壁という地名が生れたという。「安永風土記」によれば、大崎氏の家臣後藤美作某が住していた有壁館があり、縦三〇間・横九間。のち丸森まるもり館に移った後藤氏に代わって菅原某が居住したが、元亀二年(一五七一)葛西氏領となったためその家臣有壁尾張某など三代が天正一八年(一五九〇)まで居館した。丸森館には元亀二年後、葛西氏の家臣門田淡路守某が住した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報