日本歴史地名大系 「有芸村」の解説 有芸村うげいむら 岩手県:下閉伊郡岩泉町有芸村[現在地名]岩泉町上有芸(かみうげい)・下有芸(しもうげい)摂待(せつたい)川の上流および小本(おもと)川の支流猿沢(さるさわ)川の上流にある山村で、鼠入(そいり)村の東に位置。南西には柴(しば)森・峠(とうげ)ノ神(かみ)山・亀(かめ)ヶ森などの高山が続く。江戸時代初期には大半が桜庭氏の知行地であったが、宝永年間(一七〇四―一一)に上知され、のち蔵入地と野田氏給地に分けられた。また貞享(一六八四―八八)の頃には上・下二村に分れている。元禄十郡郷帳では有芸村とあって浅内(あさない)村に入るとある。安永五年(一七七六)の宮古代官所支配高帳(小笠原文書)でも有芸村一村として高一九一石余、うち蔵入高一二七石余・野田豊後給地六四石余とあり、とくに蔵入地については「土地悪敷、殊に猪荒多く不作打続」を理由に「丑ノ年より卯年迄三ケ年中、御役立の内御小者金、定番銭、右二役御免」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by