有馬良橘(読み)アリマ リョウキツ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「有馬良橘」の解説

有馬 良橘
アリマ リョウキツ


肩書
枢密顧問官

生年月日
文久1年11月(1861年)

出生地
和歌山県

学歴
海兵(第12期)〔明治19年〕卒

経歴
イギリス出張(回航)後、「千代田」航海長、横須賀鎮守府参謀、明治37年の日露戦争には常備艦隊参謀として旅順港口閉塞作戦指揮。その後「音羽」「磐手」各艦長、40年第2艦隊参謀長、砲術学校長、軍令部参謀第1班長、大正元年第1艦隊司令官、海軍兵学校長、教育本部長、6年第3艦隊長官、7年海軍将官会議員、8年大将。11年予備役。昭和6年明治神宮宮司となり、同年枢密顧問官となった。12年国民精神総動員運動中央連盟会長、14年海軍在郷将官団体有終会理事長となった。

没年月日
昭和19年5月1日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「有馬良橘」の解説

有馬 良橘
アリマ リョウキツ

明治〜昭和期の海軍大将 枢密顧問官。



生年
文久1年11月(1861年)

没年
昭和19(1944)年5月1日

出生地
和歌山県

学歴〔年〕
海兵(第12期)〔明治19年〕卒

経歴
イギリス出張(回航)後、「千代田」航海長、横須賀鎮守府参謀、明治37年の日露戦争には常備艦隊参謀として旅順港口閉塞作戦を指揮。その後「音羽」「磐手」各艦長、40年第2艦隊参謀長、砲術学校長、軍令部参謀第1班長、大正元年第1艦隊司令官、海軍兵学校長、教育本部長、6年第3艦隊長官、7年海軍将官会議員、8年大将。11年予備役。昭和6年明治神宮宮司となり、同年枢密顧問官となった。12年国民精神総動員運動中央連盟会長、14年海軍在郷将官団体有終会理事長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「有馬良橘」の解説

有馬良橘 ありま-りょうきつ

1861-1944 明治-大正時代軍人
文久元年11月15日生まれ。日露戦争で常備艦隊参謀として旅順港の閉塞(へいそく)作戦を起案し指揮する。第二艦隊参謀長,海軍兵学校長などを歴任後,大正6年第三艦隊司令長官となる。8年海軍大将。のち明治神宮宮司,国民精神総動員運動中央連盟会長などをつとめた。昭和19年5月1日死去。84歳。紀伊(きい)和歌山出身。海軍兵学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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