服部和一郎(読み)ハットリ ワイチロウ

20世紀日本人名事典 「服部和一郎」の解説

服部 和一郎
ハットリ ワイチロウ

大正・昭和期の実業家,社会事業家 備前信用金庫会長



生年
明治27(1894)年2月24日

没年
平成1(1989)年10月9日

出生地
岡山県邑久郡牛窓村(現・牛窓町)

学歴〔年〕
津山中学校〔明治45年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和42年〕,環境庁長官賞〔昭和47年〕

経歴
11歳の時、祖父・服部平五郎から家督を譲られる。明治45年に津山中学校を卒業ののち、家業である土地経営や製塩業に従事。大正6年より朝鮮での土地経営を開始し、朝鮮服部合資会社や京城服部合資会社・朝永土地株式会社を興した。その傍ら、国内でも土地や塩田の経営を進め、邑久農事株式会社・鹿田塩田・千里山永楽園住宅土地合資会社などを設立。昭和17年には郷里牛窓町の山林に日本最大のオリーブ園を開き、戦後は日本オリーブ株式会社を創業した。また、牛窓信用組合・備前信用金庫・両備バス株式会社・岡山県共同石炭株式会社などの社長・会長・役員を歴任。実業界での活躍の一方で老人福祉・貧困者救済などの社会事業に携わり、大正12年に財団法人服部養老会を作った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「服部和一郎」の解説

服部和一郎 はっとり-わいちろう

1894-1989 大正-昭和時代の実業家。
明治27年2月24日生まれ。家業の農林業,塩田の経営にあたり,大正7年朝鮮に進出して朝永土地,京城服部を設立。昭和17年には郷里の岡山県牛窓町にオリーブ園をひらいた。戦後は備前信用金庫の会長などを歴任した。平成元年10月9日死去。95歳。津山中学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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