望月源治(読み)モチヅキ ゲンジ

20世紀日本人名事典 「望月源治」の解説

望月 源治
モチヅキ ゲンジ

大正・昭和期の労働運動



生年
明治35(1902)年4月11日

没年
昭和36(1961)年10月12日

出生地
静岡県庵原郡富士川町木島

本名
望月 源次

学歴〔年〕
高等小学校卒

経歴
大正8年石川島造船所仕上工として入所、同造船所争議に参加し、以後労働運動に参加。10年足立製作所機械打ちこわし事件で検挙され、懲役8カ月に処せられる。出獄後も多くの争議を指導し、13年総同盟関東労働同盟会主事となり、14年中央争議部長に就任。この間日本労農党、日本大衆党などに参加。昭和4年東京府中野町議となる。やがて国家社会主義運動に同調し、7年日本国家社会党の結党に参加し、中央執行委員になる。この頃からわかもと製薬入社、宣伝部長として満州との間を往復する。戦後は実業家として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「望月源治」の解説

望月源治 もちづき-げんじ

1902-1961 大正-昭和時代前期の労働運動家。
明治35年4月11日生まれ。石川島造船所につとめ,労働運動にはいる。大正10年の足立機械製作所争議などを指導,14年総同盟中央委員,中央争議部長となる。15年総同盟第2次分裂により日本労働組合同盟初代主事。昭和7年ごろからは国家社会主義運動に同調した。昭和36年10月12日死去。59歳。静岡県出身。本名は源次。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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