日本歴史地名大系 「望東郡」の解説 望東郡もうとうぐん 千葉県:上総国望東郡中世の郡名。「和名抄」に記す望陀(もうだ)郡が東西に分立した郡と考えられ、平安末期の成立が想定される。応安八年(一三七五)二月一〇日の市原八幡国役庄役注進状(三宝院文書)に望東郡とあり、大門一宇の造営の役を負担していた。応永二六年(一四一九)一二月一七日の鎌倉公方足利持氏御教書(円覚寺文書)に望東郡金田(かねだ)保内大崎(おおさき)村(現木更津市)とみえる。金田保のうち高柳(たかやなぎ)郷(現木更津市)は南北朝期に金沢称名寺領となっている。保内万石(まんごく)郷(現同上)は鎌倉将軍頼経の御願寺であった鎌倉明王(みようおう)院に正税を納入すべきところ、文和三年(一三五四)当時未納として訴えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by