久留里(読み)くるり

精選版 日本国語大辞典 「久留里」の意味・読み・例文・類語

くるり【久留里】

  1. 千葉県君津市東部にある地名江戸時代黒田氏三万石の城下町。現在はJR久留里線沿線の商業中心地。

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日本歴史地名大系 「久留里」の解説

久留里
くるり

戦国期から史料上にみえる地名。戦国期は小櫃おびつ川中流域の現久留里・向郷むかいごう愛宕あたごを含む一帯を称したと考えられ、江戸時代は現久留里、小櫃川右岸に同川が浸食した険崖絶壁の山地とその麓の河岸段丘久留里城と古久留里城跡を含む城郭の地をいう。

天文六年(一五三七)六月六日に心盛斎全方(武田信助か)が逸見山城入道(祥仙)に出した書状(「快元僧都記」同月七日条)に「久留里」とみえ、久留里で起きた問題の結果を逸見に問合せている。武田信助は真里谷武田氏の一族で、逸見祥仙は小弓公方足利義明の老臣であるから、この頃久留里は小弓公方の勢力圏内にあったと推測される。翌七年の第一次国府台合戦の結果、久留里は里見義尭によって掌握され、やがて里見氏の上総経営の拠点となり、義尭自身もここに居住したという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「久留里」の意味・わかりやすい解説

久留里
くるり

千葉県君津市(きみつし)東部の地区。旧久留里町。小櫃(おびつ)川中流に位置する商業中心地。戦国時代、里見義堯(よしたか)が築いた山城(やまじろ)の久留里城があり、雨城(うじょう)ともよばれていた。伝統工芸のクロモジの木を使った雨城楊枝(ようじ)がいまに伝えられている。近世には3万石の大須賀(おおすが)氏、土屋氏、黒田氏と続き、流域の農村を後背地とした市場町でもあった。

[山村順次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「久留里」の意味・わかりやすい解説

久留里
くるり

千葉県西部,君津市の東部,小櫃 (おびつ) 川の中流域にある旧上総町の中心地区。江戸時代の久留里藩 3万石の城下町であり,市場町でもあった。現在も周辺地域の農林産物の集散地で久留里市場がある。

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世界大百科事典(旧版)内の久留里の言及

【君津[市]】より

…箕輪(みのわ)に法隆寺式伽藍配置の九十九坊廃寺があり,奈良時代の郡寺といわれる。内陸部の久留里(くるり)には中世に真里谷武田氏,里見氏が拠った久留里城がある。近世に久留里藩が成立して大須賀,土屋,黒田各氏が城主となり,城下町が形成され,月2回の定期市も開かれた。…

※「久留里」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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