朝原山
あさはらやま
広沢池の西北に位置する高さ二三一メートルの山。古くは千代原山ともいったという(山州名跡志)が、朝原の名については「続日本紀」宝亀七年(七七六)一二月二五日条に「山背国葛野郡人秦忌寸箕造等九十七人」に「朝原忌寸」という姓を賜ったという記述がある。この辺りの開拓が秦氏一族によってなされたらしいことや、古くからの名であったことが知られる。山の名としては「三代実録」元慶五年(八八一)八月二三日条に、大覚寺の寺地の四至として「東至
朝原山
」とみえるのが早い。
永祚元年(九八九)山麓に遍照寺が創建されて以後、遍照寺山とも、開創者の寛朝僧正の名にちなみ寛朝山ともよぶ。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 