コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

僧正 そうじょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

僧正
そうじょう

僧官の一つ。僧綱最上位。中国でも用いられていたが,の時代に統に改められた。日本では,推古 32 (624) 年に設置されたのち,大,正,権の3階に分けられたり,あるいは従四位に配されたりしたが,現在までこの名称が用いられている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

そう‐じょう〔‐ジヤウ〕【僧正】

僧綱(そうごう)最高位。初めは一人であったが、のちに大僧正・僧正・権(ごん)僧正の3階級に分かれ、員数も十余人に増えた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

僧正【そうじょう】

中国では僧官の一つ。4世紀末,後秦の姚萇(ようちょう)が僧【りゃく】(そうりゃく)を僧正としたのに始まる。日本では僧綱(そうごう)の最上位で,624年観勒が初めて任じられた。
→関連項目観勒僧位僧官僧都

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

そうじょう【僧正】

僧官の一種。中国で後秦の姚興(ようこう)が405年ごろクマーラジーバ(鳩摩羅什)の弟子僧(そうりやく)を国内僧主に任じたのが,僧正の起源とされる。南朝に継承されて,仏教教団を統率する長官の名称とされた。唐代以後は,地方僧官の一つになった。また9,10世紀の敦煌文書中にも,都僧統司の下級僧官として多くあらわれる。日本では,624年(推古32)に僧綱が設けられ,観勒を僧正に任じたのに始まり,明治初年の僧官廃止までおおむね設置された。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

そうじょう【僧正】

僧綱そうごうの最高位。僧都そうず・律師の上に位し、僧尼を統轄する。のち、大・正・権ごんの三階級に分かれる。
現在では、各宗の僧階の一。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内の僧正の言及

【僧】より

…仏教が伝来した当初の僧は,ほとんど大陸からの渡来僧だったが,やがて出家者が急増し,624年(推古32)の調査で僧816人,尼569人を数え,651年(白雉2)宮中での一切経読誦のとき僧尼2100余人に達した。政府は増加する僧尼を統制するため,624年早くも僧尼の犯罪に科断権をもつ僧正(そうじよう),僧都(そうず)の設置と,僧尼と諸寺の実態を調査し,これがのちに制度化されて僧綱制(そうごうせい)(僧綱)や僧尼令(そうにりよう)に継承された。僧尼令は僧尼の寺院生活についての禁制と罰則からなり,違犯者は還俗(げんぞく)させられて律によって処断された。…

【僧官】より

…中国においては,北魏の道武帝が皇始年間(396‐397)に法果を道人統に任じたのが,もっとも早い記録であり,後秦でも405年ごろに僧主,悦衆,僧録を置いた。僧官の名称は時代によってさまざまであったが,おおむね南北朝時代には,北朝は道人統の系統をひく沙門統,昭玄統を長官とし,南朝では後秦の制をついで僧正の名称が用いられた。この時代の僧官には,僧尼の裁判を仏教の戒律に従って行うなど,ある程度の自由性が認められていたが,唐代になると俗官が統制にあたり,中央僧官すら久しく置かれなかった。…

【僧綱】より

…仏教界の統制にあたる中央の僧官。624年(推古32)ある僧が斧で祖父をなぐった事件を契機に,百済の僧観勒(かんろく)を僧正(そうじよう),鞍部徳積(くらつくりのとくしやく)を僧都に任じたのが制度的な始まりである。律令制下では僧正,大僧都,少僧都,律師および実務を担当する佐官からなる機構であった。…

※「僧正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

僧正の関連キーワード良覚(3)良円(4)本多 主馬隆雅(1)性融法親王覚恵(2)良信(1)菩提僊那鞍馬天狗一階僧正中結ひ霊山寺権僧正六歌仙綱位良快僧階南朝律師信証

今日のキーワード

跋扈

[名](スル)《「後漢書」崔駰伝から。「跋」は越える意、「扈」は竹やな》魚がかごを越えて跳ねること。転じて、ほしいままに振る舞うこと。また、のさばり、はびこること。「軍閥の跋扈」「悪辣な商売が跋扈する...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

僧正の関連情報