日本歴史地名大系 「木之前村」の解説 木之前村きのまえむら 宮崎県:都城市木之前村[現在地名]都城市下長飯町(しもながえちよう)下長飯村の南にあり、萩原(はぎわら)川を境に南側の地域にあたる(都城市史)。西方を梅北(うめきた)川が北流する。東へ安久(やすひさ)村への道、南の梅北村へ志布志(しぶし)(現鹿児島県志布志町)への道が通る。村名は木前・木ノ前とも記される。応永三二年(一四二五)の中郷西方本田市王丸内検馬上取帳(鬼束文書)に木前帯刀允の名がみえている。寛正六年(一四六五)一二月八日、鬼束義綱は中(なかん)郷西方「木前」五町七反余の知行を宛行、もしくは安堵された(「鬼束氏系図」同文書)。同日付の中郷西方木前取帳(同文書)は断簡であるが、義綱の知行分が「富益ノ前河原」「富益」「池尻北」「瀬ノ口」「世戸口」「池袋」「宮ノ前」「中山口」などにあったことがわかる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by