木村哲二(読み)キムラ テツジ

20世紀日本人名事典 「木村哲二」の解説

木村 哲二
キムラ テツジ

大正・昭和期の病理学者 東京慈恵会医科大学名誉教授



生年
明治17(1884)年12月22日

没年
昭和44(1969)年2月25日

出生地
岡山県倉敷

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔大正3年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
ウィルヒョー・山極賞〔昭和10年〕

経歴
大正3年東大病理学教室に入り、山極勝三郎 長与又郎両教授に師事、5年助手、8年講師、9年東京慈恵会医学専門学校教授、11年同医科大学教授となった。15〜昭和21年東大農学部講師、7〜21年名古屋帝国大学教授、また東京歯科大学、帝国女子医学専門学校、日本医科大学各教授を歴任した。昭和10年「動物界に於けるグリコーゲンの発現分布に就ての形態的研究」で日本病理学会のウィルヒョー・山極賞を受賞。戦後も病理学研究に努め外科病理学の基礎を築いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村哲二」の解説

木村哲二 きむら-てつじ

1884-1969 大正-昭和時代の病理学者。
明治17年12月22日生まれ。母校東京帝大で山極(やまぎわ)勝三郎,長与又郎(ながよ-またお)の指導をうける。東京慈恵医大教授をへて,昭和7年名古屋帝大教授となる。のち東京歯大,日本医大の教授をつとめた。がんの生化学的研究で知られる。10年ウィルヒョウ・山極賞。昭和44年2月25日死去。84歳。岡山県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android