山極勝三郎(読み)ヤマギワカツサブロウ

デジタル大辞泉 「山極勝三郎」の意味・読み・例文・類語

やまぎわ‐かつさぶろう〔やまぎはかつサブラウ〕【山極勝三郎】

[1863~1930]病理学者。信州上田の生まれ。東大教授。大正4年(1915)、ウサギの耳に長期間コールタールを塗布し癌を発生させることに初めて成功。また、日本病理学会創立。著「胃癌発生論」など。

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精選版 日本国語大辞典 「山極勝三郎」の意味・読み・例文・類語

やまぎわ‐かつさぶろう【山極勝三郎】

  1. 病理学者。長野県出身。東京帝国大学教授。大正四年(一九一五)世界最初に人工癌(がんしゅ)実験的発生に成功、また日本住血吸虫病脚気(かっけ)の研究に業績がある。文久三~昭和五年(一八六三‐一九三〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山極勝三郎」の意味・わかりやすい解説

山極勝三郎
やまぎわかつさぶろう
(1863―1930)

病理学者。信濃(しなの)国(長野県)上田藩士山本政策(やまもとまさつね)(?―1883)の三男として上田に生まれ、1879年(明治12)東京四谷(よつや)の開業医山極吉哉(?―1909)の養子となる。1888年帝国大学医科大学を卒業して病理学教室に入り、1891年助教授となり、ドイツに留学、コッホウィルヒョウ師事。1895年帝国大学医科大学教授になり病理学第二講座を担当。病的材料示説を日本で初めて医学教育に取り入れ、実物あるいは染色標本を顕微鏡下に陳列し講義と同時に学生に観察させた。腫瘍(しゅよう)とくに癌(がん)研究を推進し、1905年(明治38)『胃癌発生論』を刊行、ついで1907年独力で業報『癌』を創刊し、邦文原著と同時に英語・ドイツ語・フランス語文の抄訳をかならず掲載して日本医学の国際的発展に尽力した。1915年(大正4)9月、協力者市川厚一連名で『上皮性腫瘍の発生に関する実験的研究』第一報を公表、ウサギの耳にコールタールを長期間反復塗擦することにより世界で初めて人工皮膚癌をつくることに成功したと報告。「癌出来つ意気昂然(こうぜん)と二歩三歩」という句は当時の即興である。1919年市川とともに帝国学士院賞を授与された。

[本田一二]


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20世紀日本人名事典 「山極勝三郎」の解説

山極 勝三郎
ヤマギワ カツサブロウ

明治・大正期の病理学者 東京帝大教授。



生年
文久3年2月23日(1863年)

没年
昭和5(1930)年3月2日

出身地
長野県上田市

旧姓(旧名)
山本

学歴〔年〕
東京帝大医科〔明治21年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
ソフィー賞,帝国学士院賞〔昭和4年〕「世界最初の発癌実験」

経歴
明治24年東京帝大助教授となったあと、25年からドイツに3年間留学して病理学者のウイルヒョーに師事。帰国後は病理学教授となり、大正12年定年退官するまで29年間務めた。この間、師のがん慢性刺激説を証明するため、ウサギの耳にコールタールを長期間塗り続け、大正4年ついに世界で初めて人工発がんに成功した。同時期にデンマークのヨハネス・フィーゲル教授がネズミにゴキブリを食べさせ、胃がんをつくったと主張。2人はノーベル賞医学生理学賞の最終候補となり、フィーゲルが同賞を受賞。(のちにフィーゲルの“ネズミの胃がん”はがんでなかったことが判明)。その間、雑誌「癌」を創刊するなど、終生がんの研究に力を注いだが、生涯貧苦に悩まされた。明治31年の台湾のペスト流行の際は現地に出張調査し、その成果をまとめた「ペスト論」を残している。

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改訂新版 世界大百科事典 「山極勝三郎」の意味・わかりやすい解説

山極勝三郎 (やまぎわかつさぶろう)
生没年:1863-1930(文久3-昭和5)

病理学者。人工癌の発生に成功した。長野県生れ。本姓山本。1879年山極家の養子となる。東大卒,病理学教室に入り,ドイツに留学しR.フィルヒョーに就く。95年東大教授となり,日本病理学の基礎を築く。98年台湾のペスト流行に際し出張調査し,その成果を《ペスト論》(1899)にまとめる。脚気や日本の地方病の病理学的研究のほか,とくに癌の研究に力を注ぎ,師フィルヒョーの癌の刺激発生説を実験により証明した。すなわち市川厚一とともにウサギの耳にコールタールの反復塗布を行って,1915年人工タール癌の発生に初めて成功。これは実験腫瘍学における画期的業績である。1907年雑誌《癌》を創刊。学士院賞受賞。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山極勝三郎」の意味・わかりやすい解説

山極勝三郎
やまぎわかつさぶろう

[生]文久3(1863).2.23. 上田
[没]1930.3.2. 東京
病理学者。旧姓山本。 1879年山極家の養子となる。 88年帝国大学医科大学卒業。 91年同大学助教授となり,翌 92年ドイツに留学,R.ウィルヒョーに学び,94年帰国,95年9月母校の教授となり病理学講座を担当。ウィルヒョーの説く刺激発癌説の実証を志し,札幌農科大学出身の市川厚一を協力者に得て,ウサギの耳にタールを繰返し塗ることで人工タール癌 (皮膚癌) を発生させることに成功し,これを東京医学会で発表した (1915.9.25.) 。これは,化学物質による人工発癌の世界最初の成功であった。 1919年には帝国学士院賞が贈られ,実験腫瘍学の祖として世界に知られた。

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百科事典マイペディア 「山極勝三郎」の意味・わかりやすい解説

山極勝三郎【やまぎわかつさぶろう】

医学者。信州上田の人。1888年東大卒,病理学を専攻,1892年ドイツに留学しフィルヒョーに師事,1894年帰国,翌年東大教授。1915年市川厚一とともに人工タール癌の発生に成功,1919年学士院賞。
→関連項目人工癌

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山極勝三郎」の解説

山極勝三郎 やまぎわ-かつさぶろう

1863-1930 明治-大正時代の病理学者。
文久3年2月23日生まれ。ドイツでフィルヒョーにまなび,明治28年母校帝国大学の教授。市川厚一とともにウサギの耳にコールタールをくりかえしぬり,大正4年世界ではじめて人工的にがんを発生させた。8年学士院賞。昭和5年3月2日死去。68歳。信濃(しなの)(長野県)出身。旧姓は山本。著作に「病理総論講義」など。
【格言など】癌(がん)出来つ意気昂然(こうぜん)と二歩三歩(人工がんの成功に際して)

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367日誕生日大事典 「山極勝三郎」の解説

山極 勝三郎 (やまぎわ かつさぶろう)

生年月日:1863年2月23日
明治時代;大正時代の病理学者。日本病理学会初代会長
1930年没

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世界大百科事典(旧版)内の山極勝三郎の言及

【癌】より

…以来多くの人たちが〈刺激説〉を証明しようと動物実験をくり返したが,だれも成功しなかった。しかるに1915年,日本の山極勝三郎と市川厚一は,ウサギの耳に年余にわたりタールを塗りつづけるという忍耐強い実験の結果,世界にさきがけて人工的に〈刺激〉により癌をつくり出すことに成功したのである。この成功に力を得て,イギリスの化学者グループが癌原物質の探索を精力的に行い,28年,ケナウェーE.Kennaway(1881‐1958)は合成炭化水素1,2,5,6‐ジベンズアントラセンの癌原性を明らかにし,33年にはクックJ.Cookがタール中の癌原物質が3,4‐ベンツピレンであることをつきとめた。…

※「山極勝三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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