病理学者。信濃(しなの)国(長野県)上田藩士山本政策(やまもとまさつね)(?―1883)の三男として上田に生まれ、1879年(明治12)東京四谷(よつや)の開業医山極吉哉(?―1909)の養子となる。1888年帝国大学医科大学を卒業して病理学教室に入り、1891年助教授となり、ドイツに留学、コッホ、ウィルヒョウに師事。1895年帝国大学医科大学教授になり病理学第二講座を担当。病的材料示説を日本で初めて医学教育に取り入れ、実物あるいは染色標本を顕微鏡下に陳列し講義と同時に学生に観察させた。腫瘍(しゅよう)とくに癌(がん)研究を推進し、1905年(明治38)『胃癌発生論』を刊行、ついで1907年独力で業報『癌』を創刊し、邦文原著と同時に英語・ドイツ語・フランス語文の抄訳をかならず掲載して日本医学の国際的発展に尽力した。1915年(大正4)9月、協力者市川厚一と連名で『上皮性腫瘍の発生に関する実験的研究』第一報を公表、ウサギの耳にコールタールを長期間反復塗擦することにより世界で初めて人工皮膚癌をつくることに成功したと報告。「癌出来つ意気昂然(こうぜん)と二歩三歩」という句は当時の即興である。1919年市川とともに帝国学士院賞を授与された。
[本田一二]
明治・大正期の病理学者 東京帝大教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
病理学者。人工癌の発生に成功した。長野県生れ。本姓山本。1879年山極家の養子となる。東大卒,病理学教室に入り,ドイツに留学しR.フィルヒョーに就く。95年東大教授となり,日本病理学の基礎を築く。98年台湾のペスト流行に際し出張調査し,その成果を《ペスト論》(1899)にまとめる。脚気や日本の地方病の病理学的研究のほか,とくに癌の研究に力を注ぎ,師フィルヒョーの癌の刺激発生説を実験により証明した。すなわち市川厚一とともにウサギの耳にコールタールの反復塗布を行って,1915年人工タール癌の発生に初めて成功。これは実験腫瘍学における画期的業績である。1907年雑誌《癌》を創刊。学士院賞受賞。
執筆者:長門谷 洋治
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…以来多くの人たちが〈刺激説〉を証明しようと動物実験をくり返したが,だれも成功しなかった。しかるに1915年,日本の山極勝三郎と市川厚一は,ウサギの耳に年余にわたりタールを塗りつづけるという忍耐強い実験の結果,世界にさきがけて人工的に〈刺激〉により癌をつくり出すことに成功したのである。この成功に力を得て,イギリスの化学者グループが癌原物質の探索を精力的に行い,28年,ケナウェーE.Kennaway(1881‐1958)は合成炭化水素1,2,5,6‐ジベンズアントラセンの癌原性を明らかにし,33年にはクックJ.Cookがタール中の癌原物質が3,4‐ベンツピレンであることをつきとめた。…
※「山極勝三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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