長与(読み)ナガヨ

デジタル大辞泉 「長与」の意味・読み・例文・類語

ながよ【長与】

姓氏の一。
[補説]「長与」姓の人物
長与専斎ながよせんさい
長与又郎ながよまたろう
長与善郎ながよよしろう

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精選版 日本国語大辞典 「長与」の意味・読み・例文・類語

ながよ【長与】

  1. 姓氏の一つ

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日本歴史地名大系 「長与」の解説

長与
ながよ

中世よりみえる地名で、彼杵そのき戸町とまち浦のうち。嘉暦四年(一三二九)七月三日の東福寺領肥前国彼杵庄文書目録(正慶乱離志裏文書)長与浦とみえ、正和三年(一三一四)五月彼杵庄雑掌が名主の民部次郎を訴え、元亨三年(一三二三)に至るまで両者の間で訴陳状のやりとりがあった。この民部次郎は長与民部次郎ともみえる。同じく記載される長与左衛門三郎入道・長与覚道房らを含めて、当地名を名字の地とする長与氏の存在が知られる。これより先、弘安八年(一二八五)九月晦日の豊後国図田帳(内閣文庫所蔵)に肥前国御家人として長与馬次郎家経が記され、豊後国恵良本えらほん(現大分県九重町)の一六町余の地頭職を得ていたことが知られる。これは蒙古合戦の勲功賞として配分された所領であろう。永仁七年(一二九九)六月二六日の鎮西裁許状(尊経閣文庫所蔵東福寺文書)によれば「長与次郎左衛門尉家綱」が河棚道盛・宮村通兼らと同じく彼杵庄の領家一代一度の検注を遂行しなかったとして同庄雑掌に訴えられ、鎮西探題金沢実政から検注を命じられている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「長与」の意味・わかりやすい解説

長与(町)
ながよ

長崎県西彼杵郡(にしそのぎぐん)にある町。大村湾の南岸に位置し、南は長崎市に隣接する。1969年(昭和44)町制施行。町の中央部にあたる三根(みね)、吉無田(よしむた)、丸田(まるた)三郷の境界地点に、天文(てんぶん)年間(1532~1555)長与氏によって築城された中尾城跡がある。JR長崎本線が町内を南北に走るが、諫早(いさはや)―浦上(うらかみ)間にバイパス状の新線が敷設され、現在は支線的存在である。かつては長与川流域の米作を主とする農村であったが、昭和期に入ってミカン栽培が急増。一方、長崎市のベッドタウンとして、周辺丘陵上での住宅団地化が進み、人口が増加した。高田郷(こうだごう)には県立長崎高等技術専門校、単純温泉の道の尾温泉(みちのおおんせん)がある。面積28.73平方キロメートル、人口4万0780(2020)。

[石井泰義]


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改訂新版 世界大百科事典 「長与」の意味・わかりやすい解説

長与[町] (ながよ)

長崎県中東部,西彼杵(にしそのぎ)郡の町。人口4万2535(2010)。北は大村湾に面し,三方を丘陵地に囲まれ,中央を長与川が北流する。JR長崎本線,国道207号線が通じる。主産業は200年の歴史をもつミカン栽培で,近年では極早生への改植品種改良がさかん,ビワなどの導入も推進している。南に接する長崎市のベッドタウンとして都市化が進み,人口の流入が激しい。琴ノ尾岳(451m)頂上からは大村湾,雲仙岳の眺望がすばらしい。道ノ尾駅東方に道ノ尾温泉(単純泉,27℃)がある。町の中心地,長与川沿いの嬉里郷(うれりごう)では江戸時代に三彩手(さんさいで)で知られる長与焼が作られた。
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百科事典マイペディア 「長与」の意味・わかりやすい解説

長与[町]【ながよ】

長崎県南部,西彼杵(にしそのぎ)郡の町。北は大村湾,南は長崎市に接し,長崎本線が通じる。柑橘(かんきつ)類を産し,住宅地化が著しい。道ノ尾温泉があり,琴ノ尾岳(451m)は大村湾の好展望地。28.73km2。4万2535人(2010)。

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