木津川砲台跡(読み)きづがわほうだいあと

日本歴史地名大系 「木津川砲台跡」の解説

木津川砲台跡
きづがわほうだいあと

[現在地名]住之江区柴谷一丁目

木津川河口の左岸には、西成にしなり津守つもり新田(現西成区)から加賀屋かがや新田の北部地区を経て大阪湾に長く続く洲があり、押海堤とよばれていた。堤上には松林があり、千本松または避波松と称され、景勝地として知られていたが、元治元年(一八六四)この堤の西端に桔梗形の砲台が建設された。砲台の建設は一説に天保三年(一八三二)ともいう。幕府は諸外国からの圧力が強まる幕末期に盛んに海防政策をとったが、大坂においても、この時期安治あじ川・木津川両河口の調査や防備が諸藩に命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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