日本歴史地名大系 「木浜村」の解説 木浜村このはまむら 滋賀県:守山市木浜村[現在地名]守山市木浜町水保(みずほ)村の南西、野洲(やす)川南流河口付近の左岸に位置。琵琶湖最狭部の東岸にあたる。此浜、梢浜とも記し、近世にはの親郷を称されるほど漁が盛んであった。建武三年(一三三六)七月四日の足利直義軍勢催促状(勝山小笠原文書)では、勢多(せた)(現大津市)および「木浜辺」への出陣が小笠原貞宗に要請されている。当地には湖を監視し後醍醐天皇方の軍勢に備えるための「木浜役所」が設けられていた(同年一〇月日「小佐治基氏軍忠状」小佐治文書)。湖対岸の坂本・堅田方面との間には木浜舟とよばれる渡船があり、堅田三方のうち東(ひがし)の切(きり)により始められたという(本福寺跡書)。大永六年(一五二六)冬、宗長はこの舟を利用して大津から矢島少林(やじましようりん)寺を訪れている。翌七年二月には将軍足利義晴らも舟で坂本から木浜へ渡り、武佐長光(むさちようこう)寺(現近江八幡市)へと避難した(宗長日記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報