日本歴史地名大系 「木浦鉱山」の解説
木浦鉱山
きうらこうざん
江戸時代
木浦鉱山は室町時代すでに開発されていたとの説もあるが、その稼働は慶長年間(一五九六―一六一五)のようで、同三年木浦山役頭川野大蔵丞金重が採掘手法を伝えたとする説(「外財根元目録略記」竹田市立歴史資料館蔵)、同四年説(大分の歴史)、同一三年説(両郡古談全)などがある。「中川氏年譜」には慶長一二年八月木浦山に鉛山が出来、初めて鉛五〇〇斤を将軍徳川秀忠に献上したとある。寛永二年(一六二五)にも将軍に鉛三千斤を献上している(同書)。この間元和六年(一六二〇)には銀山も開かれたという(宇目町誌)。しかし銀の産出は少なく、おもに鉛・錫山として発達、寛文(一六六一―七三)頃には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報