木田見郷(読み)きたみごう

日本歴史地名大系 「木田見郷」の解説

木田見郷
きたみごう

喜多見きたみを遺称地とし、現狛江こまえ市東部に広がっていたと推定される。嘉元二年(一三〇四)五月一日の関東下知状(熊谷家文書、以下とくに断らない限り同文書)には「武蔵国木田見牛丸郷内直光知行分」とある。木田見郷は鎌倉時代秩父流江戸氏の一族木田見氏の本拠であった。ところが木田見次郎入道成念の娘(熊谷尼)が熊谷氏に嫁いだために鎌倉末期から南北朝時代にかけて木田見氏と熊谷氏の間で木田見牛丸きたみうしまる郷をめぐる相論が起こっている。成念の遺領は文永元年(一二六四)一一月一日付の譲状で男女子息に譲与され、安堵の下文を得ていた。しかし熊谷尼がこの譲状を謀書訴え出、舎弟木田見長家との間で争いとなった。その過程で長家が悪口を言った咎で譲状が実書であるにもかかわらず処罰され、同一一年牛丸郷内長家知行分の半分が熊谷尼代熊谷直高に与えられた(建治元年七月五日関東下知状・文永一一年正月二七日関東御教書)。牛丸郷は武蔵国天神宮領であったらしく(前掲嘉元二年関東下知状)、弘安一〇年(一二八七)九月一五日には牛丸郷に課された天神宮造営用途を熊谷尼が負担しないという長家(仏念)の訴えが認められ、ただし「未断欠所」であるため、とくに免許して長家が勤めた分の二倍を糾返するよう熊谷尼に命じられた(関東御教書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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