木郎郷
もくろうごう
南北朝期からみえる郷名。若山庄の内で、現在の松波川・九里川尻川(旧称木郎川)・白丸川流域および小木地区などの内浦町域一帯に比定される。永和元年(一三七五)一二月二日の日野資教御教書(万福寺文書)に「木郎郷松波内水谷」とある。同月七日の日野資教御教書(同文書)にも「木郎郷足羽名」とあり、若山庄領家日野資教が祖父資名・父時光・母の菩提を弔うため郷内の満福寺(現万福寺)に田地を寄進している。また足羽社もみえるが、足羽名とともにその所在地は松波の字明日輪に比定される。応永二四年(一四一七)一一月一六日書写の四坪薬師寺大般若波羅蜜多経巻二三九奥書に「能登国若山庄木郎内松波上別所大日寺於松本坊書写畢」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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