末則古墳(読み)すえのりこふん

日本歴史地名大系 「末則古墳」の解説

末則古墳
すえのりこふん

[現在地名]綾上町山田下

羽床はゆか盆地のほぼ中央部に東方から延びてきた丘陵があり、その先端部に築かれた七基の円墳の最先端に位置する。昭和五〇年(一九七五)に発掘調査が行われた。墳丘は直径二四・六メートル、高さ三・三メートルで、墳頂部は転落したためかほとんど認められなかったものの、墳丘の大部分葺石が張付けられていた。主体部は竪穴式石室で、長さ二・七メートル、幅六〇センチで、両小口は板石を立てているが、側壁は川原石を五、六段に積上げていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む