末守村(読み)すえもりむら

日本歴史地名大系 「末守村」の解説

末守村
すえもりむら

[現在地名]神戸町末守

揖斐いび川の扇状地扇央部に位置し、南は更屋敷さらやしき村。村名は平野ひらの庄の名田とされる末守名に由来するといわれ(神戸町史)、末森とも記す。「天文日記」の天文一七年(一五四八)一月二九日条に「濃州性顕寺下末守八郎三郎」の名がみえ、当地住人と考えられる。性顕しようけん寺の親鸞聖人絵像裏書には「天文十九庚戌年閏五月六日美濃国安八郡平野庄末守村」とある。永禄九年(一五六六)一二月八日の山門上使油請取状(不破幹雄氏所蔵文書)によると、性顕寺が納入した油のうち、末守の三升は佐藤与三郎分、八合は高橋駒法師分であった。


末守村
すえもりむら

[現在地名]杵築市なか

北は中村、南は日明ひあけ村。やや高台上にある。蛇行して流れる八坂やさか川が村の東端にあり、ここに船着場がある。康永三年(一三四四)七月六日の秋吉忠氏等連署四至堺定文写(秋吉文書)によれば「八坂下庄内中村与井斗原与萩原荒野堺之事」として「其ヨリ萩原田ノ尻渡、同末守野田ヲ限」とある。小倉藩元和人畜改帳では木付下きつきしも庄に属し、「中村但末守村共ニ」とあり、末守村は存在していたが中村のなかに入っていた。杵築藩が正保二年(一六四五)松平英親領になるとき、日出藩領と杵築藩領の境界地に幕府領が設定され、当村も幕府領となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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