日本大百科全書(ニッポニカ) 「杵築藩」の意味・わかりやすい解説
杵築藩
きつきはん
江戸時代、豊後(ぶんご)国速見(はやみ)郡杵築(大分県杵築市)地方を領有した藩。譜代(ふだい)大名。1595年(文禄4)前田玄以(げんい)、96年(慶長1)杉原長房(ながふさ)、97年早川長敏(ながとし)がそれぞれ入部したというが、詳細は不明。1600年細川忠興(ただおき)領に編入。1632年(寛永9)小笠原忠知(おがさわらただとも)の入封により杵築藩4万石が成立。1645年(正保2)松平(能見(のみ))英親(ひでちか)が3万7000石を受封。英親はこのうち、1682年(天和2)弟重長(しげなが)に3000石、同直政(なおまさ)に2000石を分知。英親以降、重栄(しげよし)、重休(しげやす)、親純(ちかずみ)、親盈(ちかみつ)、親貞、親賢(ちかかた)、親明、親良、親貴(ちかたか)と10代220年間にわたり領有、明治維新に至る。1871年(明治4)7月杵築県、同年11月大分県に編入。領地は国東(くにさき)郡東部(東国東郡)と速見郡の一部で、農業用水源は溜池(ためいけ)に依存。特産物としては、17世紀なかばに導入された青莚(あおむしろ)(七島(しっとう)莚、豊後表(ぶんごおもて)ともいう)が著名。文教では、1788年(天明8)三浦梅園(ばいえん)の献策により学習館を創設。文人としては、梅園のほか、綾部絅斎(あやべけいさい)、その子麻田剛立(ごうりゅう)などを輩出。なお、城下町杵築はその景観をいまも伝えていることで著名である。
[豊田寛三]