本下町(読み)もとしたまち

日本歴史地名大系 「本下町」の解説

本下町
もとしたまち

[現在地名]長崎市築町つきまち江戸町えどまち賑町にぎわいまち

江戸町の東、地獄じごく川河口の右岸にある長崎うち町の一ヵ町で、船手に属した。町並はほぼ東西に形成され、北東今下いました町に隣接する。はじめ下町(内下町)のうちで本町と称し、寛永長崎港図では内町として「下町」とある。寛文一二年(一六七二)の大町分割に伴い本下町・今下町に分立した(寛宝日記)。同年の間数九四間・実箇所数三三・諸役御免箇所八(長崎県史)。同九年「堀町衆・下紺屋町衆・下町衆」の四人が伊勢参宮に赴いている(「御参宮人抜書」橋村家文書)。元禄二年(一六八九)改の間数九四間三尺余で、三五箇所のうち八箇所(乙名三・唐通事四・日行使一)が諸役御免(長崎拾芥)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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