日本歴史地名大系 「本与板村」の解説
本与板村
もとよいたむら
元和六年(一六二〇)の長岡藩知行目録に高六四九石二斗余とみえる。文政三年(一八二〇)以降与板藩領となり明治に至る。長岡藩領当時、初めは与板組に属したが、寛永一一年(一六三四)牧野忠成が次男康成を与板に分知したとき本与板組を編成、御蔵所も当村に移った。御蔵所は白山社北側の山麓にあり、付近に役所・蔵番・代官屋敷もあった。与板藩主井伊直朗の城主格昇任に伴う築城計画は、初め拝領した
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報